人間社会反抗期説〜人間社会は地球に必要な存在なのか〜


こんにちは、そーやんです。

今日は僕が勝手に唱えている「人間社会反抗期説」について。

サブタイトルにしてますように、これを考えついたきっかけとしては、人類に対する懐疑心から始まりまっています。


○人間は性懲りも無く地球を破壊し続けてるけど、地球の未来は大丈夫なのか。

○本当に僕らは必要な存在なのだろうか。

○なんのために生まれて、なんのために死ぬんだろうか。

○子供達により良い環境を残すことができるんだろうか。


みたいなことです。

学生時代に僕は人間社会にはほんと絶望していて、お先真っ暗だなと思っていました。

つまらなすぎる。

希望無さすぎる。

冷たすぎる。

先が見えなすぎる。


特に僕が関心があったのが、環境問題であり、私たちが自然を傷つけ続けていることに対して、

深い悲しみがありました。

それでもその暗闇の中に光は本当にないのか必死に探し続けてきたわけです。


その中で見つけた光の一つが自然とつながる感覚であり、

畑仕事をしている時間の中にありました。

自然は常に真理を生きているという感覚があり、そこに答えはあるのではないかと感じていました。

私たちも本来は自然の一部のはずで、何かしら僕らにも存在意義があるのではないかと。


そんな中でふとあることを思いついたのです。

自然は人間社会の親だなと。

原始時代の人間社会が赤ちゃん。

自然の母なる優しさと父なる厳しさに育まれてすくすく育ち、

近代では成長期に入って、急激に大きくなりました。

それこそ、今まで長い年月をかけて自然が蓄えてきた化石資源という貯蓄を使わせてもらって、

食べたいものをバクバク食べ、やりたいことをやらせてもらっております。


そして成長期には反抗期がつきものです。

親である自然に対してその制限を科学や技術の力を使って、ぶち壊そうとしてきました。


しかしながら、最近ようやく気づいてきたわけです。

「親にも限界があるんだ」ということを。


僕ら人間も親や社会に反抗し、その中で自分の限界や未熟さを知り、親や社会の限界や未熟さも知ることになります。

そして今度は自分も親と同じ一人の人間として、社会のために貢献しようと自立していくわけです。



これは自然の中にある一つの絶対的なサイクルでもあります。

四季のサイクルに当てはめるなら、今までは夏でした。

夏は外側の成長と出会い・対立の時期です。

そしてこれから内側の成熟・実り・統合・調和の時期である秋に向かいます。



つまり、今まで私たち人間社会は散々自然に対して、ひどいことをやってきたけれど、

それはある意味、成長の過程として必要なことだったのです。

 

しかし、もちろんこのままで良いわけではありません。

私たちはしっかりと人間社会、そして自然の限界と未熟さを受け止める必要があります。


今まで自然がやってきてくれた地球を豊かな星にするということを、

今度は同じ地球の構成員である我々も一緒に、大自然と同じフィールドで感じ、考え、行動していく時期に入っています。

僕ら人間にはそれだけの力があり、責任があり、創造力があり、それが僕らの使命や魂の喜びとも繋がっていると思います。



僕はこのことに気づいたとき、すごく嬉しかったんですよ。

まだ可能性はあるんだなと。


だから僕と同じように「人間社会に絶望した人たち」に伝えたいのです。

今までは反抗期だったのであり、これからやっと自立の時期に入るんだと。

今まで人類は数千年かけてここまで来たので、本当の自立にはまた数千年かかるでしょう。


(一説によるとこの人間社会の成長サイクルも法則があるとしています。

この説では1サイクルを25,776年としていて、これは地球の歳差運動に基づくものとされていて、

これによるとこの統合と調和の周期のピークが来るのは約6,400年後とされています。

詳しくは「ガイアの法則」という本を読んでみてください。)


まだまだ先は長いわけです。

早めに18歳くらいで反抗期が終わっても人間的に成熟するのはまだまだですもんね。

こっから社会の荒波に揉まれながら成長する段階ですから。


というわけで「人間社会反抗期説」のご紹介でした。


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