【2代目有機農家の僕が跡を継がない理由】

僕の両親は40年ほども前から有機農業をやり続けてきました。

始めた当初は全然収穫するものもなく、地域ではかなり変人扱いされ、行政からも農家として認めてもらえなかったそうです。

今では米農家としては鹿児島市で一番大きいらしいですし、有機農家仲間もかなり増え、父はこの業界では有名な存在になっています。

 

有名になってからも現場に出続け、ずっと地元のためにコツコツと働き続けている両親を僕はとても尊敬しています。

とくに実家のある川上地域は田んぼが多く、自給用の小農家が多いのですが、高齢化でどんどん人が減っていて、父がみんなの代わりにお米の苗を作ったり、田植えしたり、刈り取りに乾燥まで行っているので、ここの地域農業にとって父の存在はかなり大きいです。

両親ともまだまだ元気ではありますが、70超えているので、あと10年くらいを目処に次にどう繋いでいくのかを考えなくてはなりません。

 

そんな中僕は2代目有機農家としてずっと期待されており、新規就農したときは地域のみなさんに「ありがとう」と言われたのが、とても印象的でした。

しかし実際に農家をやってみて痛感したのは、僕は父のような存在にはなれないということでした。

 

それから鬱になって農家を辞め、そのあとはとにかく自分ができること、やりたいことを手探りでやり続けてきました。

結果として僕は農家を継ぐことはしませんが、ずっと両親がやってきたことや、この川上地域の風土を守ってきた人たちの想いや営みだけはなんとか繋いでいきたいと思っています。


僕以外の人が父の跡を継ぐというのもありかもしれませんが、それだとしても少数の篤農家が地域農を担うのはやはり持続可能ではないし、本当の意味で地域の暮らしは豊かにならないと思うんですよね。

やはり作物を換金商品として、農を産業として見ているうちは問題は何も解決しない。

もう一度農を暮らしの一部として、アマチュアのものであり、生活文化として取り戻していかないといつまでも自然も人も疲弊してしまう。

 

有機農や自然農では食べていけない、食糧をまかなえないと言われますが、それは換金しようとするから。

自給用につくるだけならかなりハードルは下がります。


そして最も大事なのは、本来は農に限らず自分たちの手で暮らしを豊かにするものを「つくること」自体が働くことの喜びであり、人生の喜びであったはず。

物質的な次元に生まれた存在である僕らにとって、「つくること」というのは思っている以上に、根源的な喜びにつながっている気がするんですよね。

 

それぞれが自分たちが得意なものを作り、それを交換し合っていて、その交換手段としてお金を使っていた。

ところがいつの間にかお金を得ることが働くことになり、お金自体が豊かさの象徴にすり替わってしまった。

 

お金もとても便利なツールとして必要だけど、あくまでも自分たちにとって本当の豊かさ、幸せのあり方とはなんなのかをもう一度本気で見直す時期が来ているのだと思います。

そういうわけで僕は両親の家業をそのまま継ぐことはしませんが、次の地域農のあり方として、よりみんなが関わって、みんなの暮らしが豊かになるような新しい農的営みの形を模索しています。

 

遠回りしているようではありますが、そのためのYoutube活動であり、オンラインコミュニティへの挑戦なんでしょう。 

まずは自分の庭から、ベランダから、地元から始めようとしている世界中の仲間とつながり合い、みんなで応援しあい、一人一人がより良い暮らしの環境と豊かさを取り戻していくことで、きっとより良い形で次世代に各地域農の営みが受け継がれていくと信じています。

NOTE FARM / 暮らしの畑屋のおと

家庭菜園を通して、人と自然が調和する空間づくりのお手伝いをしています。

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